最近、ふとした瞬間に「また野球がしたいな」という気持ちが込み上げてくるようになった。
テレビでプロ野球の試合を見たとき、
街中の公園で子どもたちが白球を追いかける姿を見たとき、
心の奥で懐かしい感情が震える。
あの頃、白いボールを全力で追いかけ、汗と土にまみれてひたむきに練習していた自分がいた。
忙しい日々のなかで忘れかけていた情熱に、再び火がついたような感覚だった。
そう感じる理由を改めて考えてみると、
今の生活にどこか物足りなさを抱えていることに気づく。
毎日仕事と日常の繰り返しで、自分が熱中できる何かがなくなっていたのだと思う。
野球をしていた頃は、うまくいかない日も、悔しくて眠れなかった夜もあったが、
それでも前に進む原動力があった。
勝ったときの喜びや仲間と分かち合う達成感は、何ものにも代えがたい宝物だった。
今、その感覚が少しずつ薄れてしまっていることに寂しさを感じていたのかもしれない。
だからこそ、再びグローブを手に取りたいという気持ちが自然と湧き上がってきたのだ。
そこから見えてきた気づきは、ただ懐かしさだけで野球を思い出しているわけではないということだ。
過去の自分が感じていた充実感や、自分の成長を実感できる瞬間を、今の自分も求めている。
野球は単なるスポーツではなく、挑戦する楽しさや仲間と協力する大切さを教えてくれた場所だった。
今になって、その価値を改めて理解できたのだと思う。
大人になると、何かを一生懸命やる機会が減ってしまいがちだが、
だからこそ本気になれる対象が必要なのかもしれない。
野球が自分にとってその役割を担っていたことに気づいた瞬間、
胸の中でずっと押し込めていた思いが解き放たれたように感じた。
そして、野球をまたやりたいと思ったことで学んだのは、
心が求めることを無視しない方がいいということだ。
忙しさや年齢を理由に諦めていたものが、実は今の自分を元気づけてくれる力になることもある。
例えば、軽くキャッチボールをしてみるだけでも、あの頃の感覚が戻ってくるかもしれない。
多少ブランクがあっても、また始めればいい。
完璧である必要なんてどこにもない。
野球をしたくなったこの気持ちは、過去への懐かしさだけでなく、
今の自分がもう一度何かに夢中になりたいという前向きなサインだと思う。
あのとき味わった情熱や達成感は、今の自分にも確かに必要なものだ。
だからこそ、その気持ちを大切にしながら、一歩ずつでもいいからまたボールに触れてみようと思う。
もう一度グラウンドに立つことで、忘れかけていた自分らしさを取り戻せる気がする、